「いでん神んさー」に榊とお神酒と塩と米をあげた

 今日は、5月1日、労働者風に言えばメーデー。毎月、1日と15日は、水神(通称:いでんかんさー)に榊とお神酒と塩と米をあげに行く。11年前、父が他界してからは、私が毎月あげに行っている。母は存命だが、女性なので水神さんには行けない。水神は女性の神様だから女性が行くのは好まないらしい。
 「いでんかんさー」の見守りをするようになったのは、父かその前の代かららしい。それまでは、堀集落の「出森(いでもり)」家が守をしていたと聞く。我が家が見守るようになったとき、その御代として2畝ほどの田圃を授かったという。貧農の我が家にとっては、貴重な田圃だったが、20年ほど前に休耕田となり今は荒地になっている。
 話は戻るが、「いでんかんさー」を出森(いでもり)家が見守りしていた。「イデ(井堰)の神を見守る」から出森姓となったとと伝えられるが、今は、我が家が見守っている。私にも2人の息子がおり、鹿児島に職を得ており、息子たちが見守ってくれれば、我が家の祖先も大里田圃を開田先人たちも、安心してくれるだろう。