大里田圃ほ場整備事業

 3期工事まで行われる大里田圃の区画整理事業、その第一期工事が終わった。今まで、田圃の大きさは、マチマチだったのが今回の事業で、大型機械が効率よく使えるように一定の大きさに整然と整備された。
 工事が始まったのは、昨年の秋、それが半年足らずのうちに終わった。大型重機を使う現代社会だからこそのスピーディーな工事、思えば、約350年前、葦が原のこの地を難儀苦労して新田を開発した先人たちから見れば夢のような早さであろう。
 重機も何もない時代、先人たちは人力のみで新田を開発した。工事で犠牲者も出たと伝えられる。それは、「大里川井堰物語」として、語り継がれている。そしてまた、難儀苦労が大きかったからこそ、新田開発が終わったときの先人たちの喜びは尋常ではなかったことであろう。その喜びの表現が七夕踊り。
 私達、大里に生きるものは、先人の残した田圃の稔りを今も受け、命の糧となっている。そして、七夕踊りと言う誇れる文化まで残してくれた。なんと、偉大な先人たちであろう。感謝してもし尽くせない。今、先人たちから課せられた私たちの責務は、後世の子孫に、大里田圃を荒らさずに残し、七夕踊を次代に継承することであろう。そう考えながら、区画整理され田植えの準備が始まろうとする整然と整備された田圃と350年前の先人も同じように目にしたであろう変わらぬ里山を眺めた。